人に迷惑かけたくないから、弱音も愚痴も言わずに一生懸命働く。不快にさせないよう、ネガティブなことは人前で話さず、笑顔で元気に振舞う。
でも気づくと心がすり減って「もう限界」ってなる。相談の仕方もわからなくて現実が上手くいかない。
これ、過去の私です(-_-;)

自分のことかーーい
主体性の罠
人に頼れないと悩み続けて気づいたのは、主体性があるか?によって、弱音や愚痴の意味が変わってくる。
だけど「主体性」って厄介で、社会生活では完全に主体性を発揮できないので、集団のルールに沿って空気を読みながらの「主体性」になる。
共感力が高い人にとって、
一定ルールが存在するなかで、自分と組織(他者)とのニーズのバランスを取って主体的に動く
って、けっこう大変。
取り組むことの主体性
共感力が高い人にとって主体性って曖昧で、見分けるのが大変なんですね。
自分の意思で選んだけど、
自分の意思=だれかの意思
という方程式が自然と成り立っている。
つまり、「私がやりたいのは、みんなが喜んでくれること」なので、自分のやりたい=みんながやりたいこと
こうして他者のニーズを採用しているのが普通なんです。
だから疲れたときや失敗したときに、「なんでやってるんだろ…?」みたいな気持ちになりがち。
それでも雰囲気を悪くしないよう愚痴を我慢するから、ストレスがどんどん溜まっていくんです(泣)
弱音を吐かない主体性
そもそも、なぜ弱音を吐かないと決めたのでしょうか?だれかに「言わない方がいい」とアドバイスされたからじゃない?
まさに私がこのパターンで、「人前でネガティブなことを言ってはいけません」って、どこかで聞いたんですよね。
テレビや映画を観て、落ち込んでも元気に振舞っている人が素晴らしい、みたいなメッセージを受け取って。苦しくても言葉にしちゃいけないんだと思い込んで、ついに感じられなくなった。
(いまは適切な方法で発散していますよ!)
なにが目的なのか?
弱音を吐かないのは手段であって目的ではないのに、いつのまにか目的になってしまうんですよね。弱音を吐かないことが全て…みたいな。
ネガティブな話をしない理由ってありますよね。
- メンバーのモチベーションを保つ
- 自分が成功したときのイメージを崩さない
など。
ドキュメンタリーでよくあるのは「落ち込んでも状況は変わらないから、できることをやろう!」みたいに自分を奮い立たせて行動するやつ。これも目的は弱音を吐かないことではなく、その先にあるゴールを見ているんですよね。
テンション低い自分を見せない目的に納得していれば、気持ちが乗らなくても違和感は少なくなります。
思いきり弱音を吐く
小さいころから意識してネガティブな感情を封印してきた人もいます。
何度も我慢すると習慣になって表現できなくなり、落ち込んでる感覚がないのに気持ちが晴れなくて、急に体調不良なるケースもある。
どこから自分の気持ちを紐解いていいのかわからず、自覚できるのは瀕死の状態になったときなので、手の付けようがないわけです。
もうね、こういう人はセーブなんかしないで思い切り出す!!
年齢とか関係ないよ。
気持ちのコントロールには練習が必要なので、最初から上手くやろうとせず、失敗する覚悟でぶちまけるのが正解です。
できれば生身の人間相手にやってほしい。そこを通らずに生きてきたから、いま感情の出し方で困っているわけなので。
感情を掴むのが苦手な人は、感情を感じきる方法を図解で解説した記事を参考にしてください!
1回や2回ではなく、ある程度時間は必要です。
自分でゴールを決める
人に迷惑かけたくなくて、与えられた仕事も頑張りたくて、ひとりで隠れて泣いて、落ち込んだ姿は見せずに無理して笑って。
弱音を言わずがんばるのに現実が上手くいかない人は、他人が決めたゴールに合わせすぎてない?
みんなの笑顔を見るために、自分の笑顔が消えてませんか?
ネガティブな気持ちを抑えるのは、やりたいことを実現する手段であって目的ではありません。
自分でゴールを決めるには本当の気持ちに気づく必要があります。
気持ちを抑える癖があると感じ取ることもできなくなり、主体性を持っていると思っても、実は他人の期待に応えるために動いているかもしれません。
なぜ弱音や愚痴を言わなくなったのか、一度考えてみてくださいね。
それでは~