期待した分だけ傷つくのは自分だから。
いつも私ばかり盛り上がって、一生懸命頑張って、なんか損してるみたいじゃん。
他人に期待して待っていても仕方ないし、他人は変えられないし。
コントロールできるのは自分だけ。他人の行動に振り回されて気持ちが揺さぶられるの、もう疲れる。
信じて裏切られるのも悲しい。
もういいよ。
もう、期待するのやめた!
でも……なんか寂しい。
これって自衛とか諦めなのかな?
こんにちは、ももかですmomoka_hsphss
「人に期待するのやめた!」って思うとき、ありますか?
私は、何度も思ったことあります(;´∀`)
【期待】の感情について、私もね、色々考えてきたんですよ。
で、やっぱり「なぜ、そう思うのか?」を掘り下げていくと、大切にしたい部分が見えくるので。
今日は、そこをお話したいと思います。
でね、自立のニュアンスであれば、人生を主体的に動かしていける原動力になるんですが。
自己防衛、諦め、卑下の気持ちがあると、心の活力が失われて孤独感が強まるので、見極めが大切になってきます。
とくに、「期待しない!と思ったけど、なんか寂しい」と感じるときは、
- どんな風に寂しいのか?
- 何が寂しくさせるのか?
ここを掘り下げてみると、本音が見えてきますよ。
寂しさって、いまのステージを卒業する変化のときも感じるし。孤立や孤独とか、他者とのつながりが切れたときにも感じるものです。
自分が他人の期待に応えようと頑張りすぎている
私自身も「期待するのやめた!」って思うときあるし、お話を聞いていても、よく出る話題でもあるんですね。
でね、どこか、気力が尽きたような諦めのニュアンスを感じる。悲しみにも取れるような。
つまり、あまりポジティブな雰囲気ではないケースがほとんどなんですよ。
この理由をどうにか言語化できないかな~って、ずっと考えていて。自分自身のことも振り返ってみて、ふと気づいたのがコチラ。
責任感が強くて真面目な頑張り屋さん
私の周りにいる人って、みなさん責任感が強くて、真面目な頑張り屋さんです。
で、思ったのです。
「人に期待するのやめた!」と思うとき、
実は、自分が他人の期待に応えようと頑張りすぎている!!!
これです。
自分が自分に対して、
期待に応えられない私は価値がない
他人の期待に応えることが愛される条件だ
と思っているから。
期待するのをやめるというのは、
- 価値がない
- 愛されない
と認めることになるんですよね。

けっこう衝撃の気づき!
期待と希望の違い
期待って、悪いことじゃないんですよ。
期待の意味は、「待つこと」です。
何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと。
Wikipedia
希望になると、「こうなって欲しいな」という願望が入ってきます。
好ましい事物の実現を望むこと。
Wikipedia
期待の裏に隠れた気持ち
たぶんね、人に期待するのをやめようと思うとき、希望がありませんか?
親と仲良く笑いあえる関係になりたいな
パートナーと楽しい時間を過ごしたいな
充実して働ける職場を見つけたいな
これらは、未来への希望ですね。
で、期待するのであれば、やることやって時期を待つっていうアクションになると思うんですよ。
心理的に負担になるのは、期待の裏に隠れている
- 不安
- 不信
- 無価値観
- 自己卑下
といった感情です。
無価値観からの人間不信が気力体力を削りまくる
責任感が強くて、真面目で優しい頑張り屋さんは、いつも周りをよく見て動くわけですね。
で、ぶーぶー文句を言って他人任せにせずに、自分にできることを見つけて、率先して、みんなが気持ちよく過ごせるように配慮できる人なのです。
これがですね、自分が満たされる範囲のものであれば、やればやるほど充実感が高まるのですが。
限度を考えずに動きすぎちゃったり、無価値観から拒絶されるのが怖くてやりすぎたりすると、心身ともに疲れちゃうのですよね。
さらに、さらに。
頑張り屋さんほど、自分が疲れていることに気づきにくいですから。
自覚なく、自分をボロ雑巾のように扱うことになるわけですよ!(ホラー現象!)
頑張ることも、他人に配慮できることも、それ自体はとっても素敵な魅力です。強み、能力なんです。
だがしかし!!
自分には価値がないと感じる【無価値観】
人は自分を傷つける存在だと感じる【人間不信】
こういった思考、感情が埋まっていると、必要以上に他人の顔色を伺って、気力と体力が削られやすくなります。
もうね、ゴリゴリ削られて、削られまくる。
自己防衛と人への諦めからくる思考の特徴
自己防衛、人への諦めがあると、次のような思考に陥ってしまうのです(泣)
「相手に期待しすぎると、あとで自分が傷つくから期待しなくなった」
「いつのまにか、自分にも相手にも期待しなくなった」
「こんなもんだろうなっていう感覚が自然とある気がする」
人も自分もよく観察しているからこそ、自尊心が低くなりやすかったり、人間の本質的な部分を見過ぎて心折れちゃうケースがあるんですね。
あと、過去に挫折した経験、人とすれ違った経験がトラウマになってる場合もあります。
- 期待に応えられないと価値がない
- 相手の要望を汲み取れないと機嫌を損ねてしまう
- 求められていることを差し出せば傷つかない
- 私の気持ちは誰にも届かない
みたいな。
自分に期待できないから、人への期待もやめる。
人に期待できないから、自分への期待もやめる。
表裏一体、ですね。
期待に応えなくても私には価値がある
とても頑張り屋さんで、人への気配りができて、可能性を信じられるからこそ。気力体力が削られて心が折れたときの反動が、ものすごいことになるので。
こちらのアファメーションをオススメします♪
期待に応えなくても私には価値がある
アファメーションとは、日本語で肯定的宣言という意味です。
ポジティブな口癖ですね。
最初は違和感たっぷりで、なんだかピンと来ないかもしれません。
アファメーションの効果は時差があるので、理解が追いつかなくても、とにかく言葉にするのが先ですよ!
自分が人の期待に応えようと頑張りすぎるのをやめたとき。
それでも人は離れていかないし、評価も変わらないし、愛されるのだと体感できたとき。
本当の意味で、他者への過剰な期待が弱まって、心に余裕をもって「待つ」ことができるようになります。
口癖を変えるだけで費用はかからないお得なアファメーション。
試してみてくださいね!