こんにちは、ももか(momohsphss)です。
さいきん立て続けに同じ言葉を目にしたので、思うところを書いてみます。
わたしは生きているだけで社会貢献
このブログの読者さんは、
仕事のストレスから解放されたい
本気でのめり込めることがしたい
好きで好きでたまらないことがしたい
飽きずに続けられることがしたい
それが会社員なのかフリーランス(個人起業)なのか
わからないけど
時間にも場所にも縛られず
自由にマイペースに人生楽しみたい
わたしにできることってなに?
心からやりたいことってなに?
こんな想いを持っている人が多いです。
でね、ひとつ大切な考え方として
「やりたいことができていない、いまの自分を認められない限り、いつまでも心は満たされない」
ってことを覚えておいてほしいんです。
わかりやすく説明するために、わたしの体験を例にしますね。
摂食障害の話が出てきます。該当する人は閲覧注意です。
8年間探し続けた理想の食べ方
わたしは、8年間摂食障害でした。
深刻なときは、毎日、毎日、食べることばかり考えていました。
- なにを食べるか?
- どれくらい食べるか?
- 栄養は?
日記では、毎日、毎日「上手く食べれなかった反省会」をしていました。
野菜から食べよう
コンビニの前は通らないようにしよう
和食を中心にしよう
お気に入りの食器を使って気分を盛り上げよう
文面だけ見るとポジティブで前向きっぽいけど。ようするに、
ゆっくり味わって食べれなかった⇒改善しなきゃ
ジャンクフードを食べてしまった⇒改善しなきゃ
過食用の食べ物を買ってしまった⇒改善しなきゃ
自分を痛めつけるような食べ方をしてしまった⇒改善しなきゃ
こうやって、改善点(できていないと感じるところ)を探す思考が癖になっていて、
やってもやってもやってもやってもやっても
これじゃない!!!
と、自分で自分の”行い”を認めることができなかったんです。
世間で言われる正反対の意見に振り回される
自分へのダメ出しばかりしていたので、楽しそうに食べる人を見ると、寂しさと恥ずかしさが込み上げてきて。
「わたしは、あの人とは違うんだ」
「わたしは、あんな風にはなれないんだ」
って、3%くらいの小声で心のなかで囁くんですね。
人と一緒に食事するのが恥ずかしくて
周りで食べている人が気になって「あの人は、あれ食べてるんだ」って無意識に観察しちゃう。
で、当時のわたしは、世間でよく言われる2つの意見に振り回されていました。
- 太っている人は受け入れてもらえない
- 痩せすぎる人は受け入れてもらえない
太りすぎてもダメだし、痩せすぎてもダメ。太るの怖いし、痩せるのも怖い。
だから、体重が1キロ増えると「やばい!!!」となり、絶食する。
食べないから体重は減るんですが、今度は減りすぎる恐怖も出てくるので、ある数字を切りそうになると
「痩せすぎたら可愛くない!これ以上減ったら、ガリガリで魅力がない女になる!」っていう不安が出てきて、もうパニックだったのです。
体重が増えれば、「太っていて叩かれている女性」のイメージが浮かんでくる。
体重が減れば、「痩せていて叩かれている女性」のイメージが浮かんでくる。
この期間、K-POPにハマって、少女時代、2ne1、F(x)、4Minuteとか大好きだったんですよ。
彼女たちは、カムバックのたびにガリガリに痩せて、「かわいい!!垢ぬけた!」と言われてファンが増えるんですね。(もちろん痩せすぎと心配する声もある)
ものすごいストイックにダイエットして、トレーニングして、圧倒的なパフォーマンスを見せる。
その姿に憧れて、ビフォーアフターの画像をスマホに設定して、ダイエットのモチベーションにしていました。
「満足感」がわからない
そんな感じで、いつもいつも、
- 食べること
- 痩せること
- 太ること
この3つに思考が支配されていたんです。で、わたしの本音は
食べ方がわからない
どうやって食べればいいかわからない
満腹の感覚がわからない
普通に食べるってどうやるの?
本気で、どれだけ食べてもお腹がいっぱいにならないんです。正確には「満足感」が得られないんですね。
気持ち悪くなるまで食べるので、物理的には「お腹いっぱい」なんですが。
満腹中枢がバグっていたので、なにを食べても、どれだけ食べても、「あー美味しい♡満足♡満足♡幸せ~」っていう感覚が、まっっったく感じられない。
当然ながら、
満足♡満足♡幸せ~
の感覚は
仕事で評価されても、彼氏がいても、友達がいても、欲しいものが買えても、行きたいところに行けても、感じることはありませんでした。

理想通りに食べられない自分がいてもいい
摂食障害を克服できたのは、
理想通りに食べられない自分がいてもいい
と思えるようになったから。
まず、過食した自分を責めることをやめました。
過食衝動は、「本当の痛みを隠すための防衛反応」と知り、本当の痛みを探すことにしたんです。
衝動が出る直前になにがあった?
そのとき頭にどんな考えが浮かんだ?
こうやって、自分の頭に浮かんだことを正直に、そのままノートに書くようにしました。
そうすると、「こんな風にしたかったのに、できなかった」といった、過食で隠していた痛みが見えてくるんですね。
なにが言いたいかというと、
- 自由な働き方がしたい
- 人と関わっていたい
- やりがいを感じたい
この願いを叶えるときに
無職になった⇒改善しなきゃ
人といると疲れる⇒改善しなきゃ
決めたことを守れなかった⇒改善しなきゃ
こういう反省会になってないですか?
いまの自分を認めるとは、現状を正しく把握すること
養われている自分はみっともない
ハローワークに行くなんてみっともない
正社員になれない自分はみっともない
そうやって自己評価してないですか?
「現実をそのまま受けとめて肯定する」
「ありのままの自分を認める」
こういう言葉を聞くと、
努力をやめて
なにもせず
現状に甘えて
妥協して
恥ずかしくて笑われるような道を選ぶ
という状態を連想しませんか?
羞恥心、劣等感、不安、不信、恐怖の感情が湧いてきませんか?(わたしは思ってました!)
「やりたいことができていない、いまの自分を認められない限り、いつまでも心は満たされない」
というのは、こうした羞恥心、劣等感、不安、不信、恐怖の感情に支配され続けるから。
仕事はあくまでも、自尊心、信頼、安心、幸福感といった感情を満たす手段です。そこにお金がついてくるだけです。
この仕組みを覚えておいてくださいね。
欠乏マインドから抜け出すために役立った本