仕事中に休憩する罪悪感に隠された「無」の恐怖

「仕事中に手を止めるのが怖い」と話してくれた人がいました。だれも見てなくてもボーっとするのが怖くて、勤務時間は緊張しっぱなし。そのせいか、休日は外出するエネルギーが残らなくて、一日中寝て終わってしまう。

10年以上オカシイ自分を正すために努力してきた人でした。心理学の講座を受けたり、通院したり、知識をつけて戦ってきたんです。

だけど、いつも一定のところで心に急ブレーキがかかり、寝込むほどメンタルが落ちて外に出れなくなってしまう。

ところが3回くらいセッションを進めたとき、「だれもいない会議室でボーっとできました」と教えてくれたんですね。

そうしたら休みの日も外出する気持ちが出て、カフェ巡りをするようになったと。好きなものを探す楽しみを感じられるようになった。

ちょっとコラムみたいになるんですが、仕事中の休憩に限らず、ボーっとする恐怖について話していこうと思います。

自分が使い物にならない経験

自分が使い物にならない経験があると、立ち止まるのが怖くなるんですよね。

生きる気力がなくなって、ひたすら寝るしかない時期があったとか。不登校で成長のスピードが遅れていると感じたとか。

人生のうちで「無」の時間を過ごすと、再び「無」になるのは、あの頃の使えない自分が戻ってくるんじゃないかっていう恐怖を呼び起こす。

っていうのは、私自身が抱いてた感覚でもあります。

だから今回の話は、なにか理論の裏付けがあるわけじゃないけど。自分の経験と、相談を受けている肌感覚で考察しています。

「無」が戻ってくる恐怖

真面目な日本人は、休むことに罪悪感がある人が多いと言われるけど。それでも、みんな要領よく手を抜いてるんですよね。

手を抜くのは悪いことじゃなくて、自己管理のひとつでもあります。限界を超えないようパワーの出力を調整して、長く走れるようにペースを保つわけです。

じゃあ、仕事中、ちょっとでも手を止めるのが怖くて、いつも緊張して消耗している人に対して、「あんまり深く考えないで休もうよ」と言ったところで、なんの解決にもならない。

だって自分を守るために動き続けているわけだから。

体が動くときに動かないと、またあの「無」が戻ってくるかもしれない!立ち止まったら、すべて失ってしまうかもしれない!

本人も気づかない心の奥底で、そんな恐怖が煮えたぎっているかもしれないんですよ。

休憩しても何も起きなかった

最初に話したクライアントさんは、思い切って、だれもいない会議室で5分ボーっとしてみたんですね。すごい怖かったと思いますよ。

でも想像していたことは何も起きなかった。本人の言葉を借りれば「何も変わらなかった」です。

いつも上司の視線を気にしながら、見張られているような緊張感のもと仕事をしていたけど、ちょっとずつペースを緩めるタイミングが掴めるようになりました。

勤務時間中に適度に休憩を挟めるようになり、休みの日にも余力が残って、友達とカフェ巡りができるようになったんです。

そうすると「楽しいことを探したい!」という幸せキャッチセンサーの感度が高くなるので、どんどん自分の気持ちに素直に動けるようになるんですよね。

無の恐怖を自覚していたわけじゃないけど、結果的に打ち勝ったんだと思います。

「無」を味わう

仕事をしていない人でも、家事の合間にちょっとボーっとするとか。そういう少しの休憩にものすごく罪悪感を抱く人っていると思うんですね。

で、小さな感覚を掘り下げてみると、自分が使い物にならなくて周りに迷惑をかけたときの気持ちが埋まっている…かもしれません。

すべてを止めて「無」を味わうのは、マインドフルネスの考え方です。本格的な瞑想のハードルが高い人は、シンプルに手を止めて空間を見つめるだけでも十分です。

もし静かな場所が確保できるなら、スマホで1分タイマーをセットして、目をつぶって深呼吸を続けるだけでも、めちゃくちゃ頭がスッキリします。

頭が思考で溢れていても、それは、ただ現象として垂れ流しておいてください。無の境地まで達する修行じゃないので。

もし空白の時間を作るのが怖ければ、最初は目をつぶって深呼吸を3回するところから始めてみましょう。

そして現実を確認してみてください。何も変わりませんから。

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