こんにちは、ももかですmomohsphss
小さいころから。
魅力が人に伝わってない子がいると、どうしても声をかけて仲良くなりたい気持ちになって。学年中の女子から嫌われていた子と、親友になったこともありました。
小学生で、乙武洋匡さんの『五体不満足』を読み、中学生では、知的障害を描いたドラマ『アルジャーノンに花束を』にハマって。総合学習の時間にADHDを調べるような。
- 多くの人と違うものを持っている人
- それでも懸命に生きている人
なぜか、こうした人に強く心を動かされる子どもでした。
中学でバレー部の部長になって、引退するとき。
後輩から「筋トレが苦手で、最後まで残っていた私に、優しく声をかけてもらえて嬉しかったです」と言われて。その言葉が嬉しくて、いまでも印象に残っています。
あるワークショップに参加したときも、「馬場さんって、置いてけぼりになっている人がいたら、最後まで残って、ちゃんと待ってあげて、一緒にいてあげそうな人だよね」と言われたことがありました。
私はきっと、最初から。
ひとには生まれ持った魅力があり、存在しているだけで、だれかに影響を与える。そんなキラッと光る【なにか】があるのだと、知っていたのかもしれません。
成長するにつれて、【役割】というものを強く意識するようになって。
体中の力が抜けて、視界がパッと晴れたのも、社会での自分のポジショニングが理解できたときでした。
頭のなかで、チェスの盤面みたいにフィールドが広がって、「あの人は、この役割、この人は、この役割」って、見える人たちの位置関係が理解できたとき、ものすごく安心して。
「じゃあ、私はコレをやればいいのか」って、ストンって腹落ちしたと同時に、ダムが決壊したみたいに号泣しましたwww

人には、それぞれ【役割】がある。
はじめて社会人になって、最年少で昇進して、それでも不器用すぎて、できないことだらけで。
大人で聞き分けのいい先輩たちは、「神輿を担がれるリーダー論」とか「部下がいるから上司がいる」とか、そんな話をたくさんしてくれたけど。
全然ピンとこなかった。
それから何度も、何度も。
チームで働くってことは、バンドみたいなものか。
ボーカル、ギター、キーボード、ドラム。それぞれ得意なものを選ぶ。
バレーボールだって、ポジションがあるもんね。レフト、ライト、セッター。
社会で働くっていうのも、そういうことなんだ
なんて、自分で自分に説明してきたけど。なんだか、頭で納得しているだけで、心の底からフィットした例えか?っていうと、そんなことなかったです。
それが、いま。
すごくフィット感があるのは、社会全体で人それぞれ【役割】があるってこと。
たぶん、当時の私は、ひとつの企業の、自分が所属している部署単位で考えていたから、しっくりこなかったのかなと思う。
もっと抽象度を上げて考えた方が、私としては「それだよ!」と思うのです。
生命力を呼び起こす素質
不思議体験で、人の命を守ることが私の使命なのだと、そんなメッセージを受け取って。
使命とか気持ちよくなれそうな言葉に逃げて、現実が見えなくなったら終わりだよね?
【使命の話?】不思議なできごと「もう、わかったから、やるよ!やるから!」
高校生のとき、家庭のトラブルとか精神的な問題とかで、教室に入れなくなっちゃった友だちと、女子トイレでずーっと話して。「話聞いてくれてありがとう。学校辞めなくて良かった」って手紙もらって。
営業時代、異端児として社内をザワつかせていて、先輩から「ジャンヌ・ダルクになれ」と言われて。
HSS型HSPの発信を始めたら、読者さんから「生きていてくれて、ありがとうございます」と言われて。
病みがちな友だちから、「ももかが90歳まで生きると決めたって話している姿を見て、私も一緒に生きたいって思った」と言われて。
なんか、
生命力を呼び起こす素質があるみたいです……
だから、人の命を守ることっていうメッセージを受けとったとき、驚きよりも、「まぁ、そうだよね。うん」って。
とはいえ、です。
ここから私なりの解釈が入って。
ストレートに希死念慮のある人を助けるとか、命のでんわボランティアをするとか。そこじゃなくって。
いま感じているのは、使命の発揮をサポートすることなのかな?と思います。
命を守るというのは、物理的な死を阻止するという意味ではなく。
人それぞれ与えられた【役割】を通して、今世での命を存分に使えるようにサポートする。
命の使い方=使命=役割
死んだように生きている人もいますからね。
それって命を十分に活かしきれていないってことだと思うのです。
持っているものを存分に発揮できるように、HSS型HSP気質をもつ人の魅力・才能を広く届けるお手伝いがしたいです。