こんにちは、ももかです。@momohsphss
ブログ書いてたら言いたいことが見えてくるパターンって、けっこうあるんですが。今回も、そんな雰囲気がしています。
直近の更新で、まず、
仕事しない私には価値がないと思っていて、努力せずに対価を得ること、動けない自分、こういう状態を避けたくて。
「生活するためにお金が必要だから働かなきゃ!」と動き続けていた話をしました。
そのあと、実家暮らしが後ろめたい、人に迷惑かけたくない、みたいな問題のすり替えがあって、実は「仕事探し」の前に、家族や劣等感と向き合う必要があるよ。
っていう話をしたんですね。
もしかしたら、
逃げてんじゃねーよ
まず人間性どうにかしなよ
あなたは、そのレベルじゃないから
みたいに責められている気持ちになるかもしれないけど、否定したり、責める意図は全くなくて。
むしろ、私がやらかした体験談でもあるし、伸びしろだから。ここに可能性がつまっているんだよ。
そんな内容でした。
それでね。
ザワザワすることを、どうしても伝えたい理由は、問題をすり替えたくなることに「使命」が隠れているからなのです!
お話を聞いてると、悩むポイントって人それぞれ違うんですよね。
意識が向くから悩む。できる可能性があるから悩む。想像できるから悩む。それが使命だから。
使命と試練は紙一重
まさか、こんな形で使命シリーズと繋がるとは思いませんでした。
私は、もともと「使命とか気持ちよくなれそうな言葉に逃げて、現実が見えなくなったら終わりだよね」と考えていたタイプで。
使命、才能、ギフト、天才、能力
こういった言葉がキライだったんですね。
あなたが、私の人生を歩んでくれるわけでもないのに。
その才能と一生付き合っていくのは、こっちなんだよ?
無責任なこと言わないでくれる?
私を苦しめる才能、能力なんていらない、消えてほしい
使命とか気持ちよくなれそうなことなに逃げて、現実が見えなくなったら終わりだよね
そんなこと考えて、言葉を聞くだけで条件反射で拒否反応が出るレベルでした。
そんな私ですが、実は使命に導かれて、ここまで来たとも思っていて。
ついには、体調不良になりながら不思議なできごとを体験して「もうわかった!やるから!」と降参したのです。
使命を歩み始めるとハプニングに遭遇する
で、結論。
使命と試練は紙一重。
むしろ、使命を歩み始めると、想定外のハプニングに遭遇したり、とつぜん道が閉ざされたり。一見、ネガティブに思えるできごとが起こります。
「もうやだ、離れたい」と思って違う道を選ぼうとしても、なぜか引き戻される。
なんで、こんな苦しい思いをしなきゃいけないの?
なんで、みんな、わかってくれないの?
なんで、私ばかり、こんな大変なことしなきゃいけないの?
そう思うことに、使命が隠れているのです。
問題をすり替えたくなることに「使命」が隠れている
たとえば、
家族に申し訳ないし、実家暮らしが後ろめたいから、経済的に自立できる仕事がしたい
っていう気持ちがある人。
大切なのは、言葉の意図ね。
同じ言葉を使っていても、どういう意味で言ってるか、言葉の裏にある感情によって、全然意味合いが変わってきますから。
ややこしいけど、すでに精神的に自立している人も、そうじゃない人も、同じように
家族に申し訳ないし、実家暮らしが後ろめたいから、経済的に自立できる仕事がしたい
って言うんですよね。
実家暮らしが後ろめたい人が悩むポイント
そんな感じで、文章だけだと伝えられることに限界があるのを踏まえつつ、今回のテーマである「使命」に沿って言うならば。
- 家族(身近な人)に意識が向きやすい
- 家族(身近な人)との関係性で悩む
- お金の問題に劣等感を感じやすい
- 「自立」にこだわる
みたいな。
「仕事探し」を通して、家族やお金の問題が浮き彫りになってくるわけです。
じゃあ、この人がどうやって自分を扱っているのかといえば、
- 人に助けてもらう自分には価値がない
- ひとりで頑張らなきゃいけない
- なにかを与えなければ人に受け入れてもらえない
こういう自分に設定しているってことです。
だから、いま、すでに存在を受け入れて、住むところを提供してくれてる家族に感謝して、「ありがとう!大好きだよ!」って言うよりも
「申し訳ないし、一緒にいると気まずいから離れたい」って、遠ざけようとしちゃう。
なにもできない私だけど、居させてくれて、ありがとね
なのだけど。
本人の脳内では、「人に依存したり甘えたりするなんて、社会人のやることじゃないよね。そんなのカッコ悪いし、そんな自分見たくない」とか、思っているかもしれません。
このマインドがあると、仕事で褒められても素直に受け取れないし。ホワホワした温かい環境なのに居心地悪く感じて、また「ひとりで頑張れる場所」を探して彷徨うことになるのですよ。
本当に向き合うのは、
家族という身近な理解者に対して、心を開いて愛情を受けとり、「なにもできない私だけど、家に居させてくれて、ありがとね」って、笑顔で親に感謝を伝えること。
これ読んだとき、青汁飲んで「まずい、もう一杯」って言わされる気分になりました?(わかりにくい例えww)

そうなったのなら。
あなたの使命は、身近な人にお世話してもらって、ただ笑顔で受け取ることです。
「もうやだ」と思うのに、なぜか考えちゃうこと
とてもザワザワすると思いますww
私に怒りが湧いてくるだろうし、「この人の言うこと、もう聞きたくない」って思うかもしれません。
だってね、使命の道に進んでいると、他人に相談しても、思ったほど真剣に取り合ってくれなかったりするんですよ。
周りは、あなたの悩みを【愛情】として捉えているから。
家族に申し訳ない、後ろめたい
という言葉の奥には、家族に対する【愛情】が埋まっています。
それは、遠く離れた見知らぬ誰かじゃなくて。顔の見える身近な人に気持ちを向けられるってこと。
世の中には、家族のことなんて、すっかり忘れて、自分の年収を増やすために睡眠時間を削って働く人もいます。
悩むということは、そこに、こだわりがあって意識が向きやすく、大切にしたいから。
「もうやだ離れたい」と思うにのに、なぜか悩み続けること。
なぜ、みんな私を苦しい方に進めようとするの?
なぜ、こんなに「やりたくない」のに、やらなきゃいけない状況になるの?
なぜ、人に相談しても「大丈夫でしょ」みたいな雰囲気出されるの?
そう思うことに使命が隠れています。
だから、問題のすり替えは伸びしろなのですよ!