こんにちは、ももかですmomoka_hsphss
このネタ書くとグーグル先生に怒られるんだけど、声を大にして言いたいので。オブラートにグルグル巻きにしながら、生きることについて話したいと思います。(その逆の行為についても)
※ペナルティ受けたら消す
私は仕事柄、自ら旅立ちを試みた人と話すことがあります。周りの人間が動く事態に発展した人もいれば、その試みを知っているのは自分だけ、という人もいます。
試みるきっかけは、半年とか1年未満にショッキングなできごとがあって、突然進む方向が見えなくなった人もいるけど。
ここで話すのは、繰り返し、定期的に、何度も、ふとした瞬間に連れていかれそうな感覚を持っている人たちです。
この人たちの話を聞くたび、行為そのものが持つ意味と、そこに付加された気持ちの意味について、考えさせられます。
つまり、その行為を実行する瞬間だけ見て「ダメなこと」にして、頭に浮かぶことや話題にあげることすらタブーにしてしまうと、よけいに疎外感を強めてしまうんじゃないかと思うんです。
かといって「どんどんやろう!」みたいに行為を助長するつもりもないし、逆に「やめた方がいいよ」と否定するつもりもない。
考えてもいいのだ、話題に出してもいいのだ、ちゃんと聞いてくれる人がいるんだ、こう思えることってめちゃくちゃ大事だと思う。
だから、あえて記事にする。
「生きる」を身近に感じている人たち
終わらせることを考える人が真面目に生きてないかって言ったら、そんなことないんですよ。むしろ、真剣に考えるからこそ頭に浮かぶわけですね。
でね、考えてしまう理由でつい挙げてしまうのが、
- 精神的にオカシイから
- ネガティブだから
- ツライことがあったから
- ストレスに弱いから
- 傷つきやすいから
みたいな、本人に原因を求めるやつ。
悩んでいることは、家族関係とか、仕事とか、その人の外側にあったとしても、受け手側の反応として「適応できていないから」っていう考えが、なんとなくあるんですよね。
そうすると考えること自体が、もう間違ってるんじゃないかって思っちゃう。
小さいころから、何度も定期的に考える人たち
繰り返し定期的に、何度も、ふとした瞬間に連れていかれそうな感覚を持っている人たちは、思春期のころまでには集団に対する違和感をもっていたり、馴染めないとか、シックリこない感じを抱く傾向があります。
ただし、違和感や馴染めない感覚、しっくりこない感じを自覚するのは30歳過ぎてから、という人もいます。
仕事もプライベートも物質的には人並の生活ができているけど、精神的にはどこか噛み合っていない感じがあったり、もはや噛み合っていないことすら無自覚なこともあります。
なにか自分自身と向き合うできごとがあって、「そういえば、小さいころから何度も考えてたな」と気づくこともあります。
で、周りは同じような感覚を持ったことないと知って「私おかしいのかな?」と考え始める。
もしくは、幼稚園や小学校の時点で集団に馴染めないと自覚していて、思春期のころには何度も旅立つ試みをしている人もいます。
「私は異物だと思う」
これは複数の人から聞いた、自分を表現する言葉です。
しんどいよね、って言い合えること
この話を記事にしたのは、私自身が、繰り返し・定期的派だから。

かっこよく、「いまは全く考えません! 」と言えたらいいけど、記事にしちゃうくらい、命とか生きることについて考えることが多いです。
数年前に比べたら折り合いをつけるのが上手くなったし、試みることもないけど。この先同じ現象が起きない保証もないしね。
しんどいよねって言い合える人の存在って、とても大事だと思うんです。

その感覚持っている人、ここにもいるよ。
同じ感覚を持つ人、知ってるよ。
そんなことを伝えたいなと思って。もう、それだけ。
まとまりがない内容になっちゃったけど、繰り返し・定期的派の人に届けばいいな。
それでは~