身体的な部分、精神的な部分など、なにかしらの背景があって「人と同じように生活できない」と悩んでいませんか?
育った環境や生活の面で、多くの人とは違う道を歩まなければいけない、と思っているかもしれません。
とくに内面の違いは外から見えないので、「個性だよ」の一言で簡単に片づけられてしまうこともあります。
その個性に振り回されて苦しいのに。むしろ個性がなくなって普通になれたら、みんなと同じように過ごせるかもしれないって、努力しているのに…
この記事は、自分の扱い方がわからず「普通になりたい」と考えている人へ、個性の意味について伝えたくて書きました。
個性とは、突出した部分だけを指すのではなく、その人がその人たる所以を表します。一部分だけ切り取るのではなく、全体像を把握できると生きやすくなります。
ここで解説するのは、一般的な個性の定義ではありません。個性の扱い方に悩んだ私が辿り着いた、独自の定義です。
個性とは「個人の性質」
個性と聞くと、人並外れた特徴をイメージしますが、私の定義では【個人の性質=個性】です。人と違った部分も、同じ部分も、すべて含まれます。
その人全体を指す言葉として、個性があります。
異常値だけで個人は語れない
個性を伸ばそう!個性を大切にしよう!というと、人と違った部分に意識が向きがちです。だけど、個人の性質とは一部の突出した面だけでは成立しないはずです。
つまり、異常値だけ見て個人は語れないんです。
一般的に言われる個性
- 人と差別化できる特徴
- レアな能力
- 奇抜な見た目
見落とされる部分
- 平均的な部分
- その他大勢と同じ側面
- 判断者によって変わる「レア」の基準
我々は人の極端なところは気づくが、人の平均的なことにはあまり関心を向けない。
臨床心理学者 米国MBTIトレーナー/ナオミ・クエンク
個性的な人が生まれる背景
個性が人と違う部分だと定義するなら、個性が生まれるには、多くの人が普通だと感じる基準が必要です。
「あの人は個性的だよね」という会話が生まれるには、個性的じゃない人と比較しないといけないですよね。
突出した部分だけで個性を捉えると、長所短所の基準は社会、文化、価値観の影響を激しく受けることになります。
なぜ個性的だとみなされるのかといえば、その社会や判断者の基準において「レア」というだけ。
こうした背景から、能力的なハンデを短所とみなして、「短所も個性になるんだよ」という言葉は、本人には途方もない努力を課せられた気分にさせます。
個人の性質は、その人たる所以
個人の性質としての「個性」は、特別な魅力や能力、才能ではなく、その人がその人たる所以(ゆえん)を意味します。
どんな人生を歩んできたのか、なにを大切にしたいのか、といった経験や価値観は、日常を積み重ねるなかで生まれてきます。
また、人間がもともと持っている心の働き、文化的背景の影響を受けた言葉の選び方なども、その人を語るうえでの大切なピースです。
- どんな人生を歩んで来たのか
- なにを大切にしたいのか
- 自然な心の働き方
- ものの見方、感じ方
- 言葉の選び方
つまり、それがあることによって、その人が何を考えるようになったのか。こうした全体像として心を捉えて個性と呼びます。
主観を大切にする
個人の性質としての個性は、主観を重視します。
自分がどう思うか、自分が自分に対して抱く「私はこういう人間だ」というセルフイメージ。こうした、その人自身の感覚によって、個性が形作られることに意味があると思います。
突出した部分、人と違う部分を指した個性では、そこに必ず他者との比較が存在します。
客観的事実から行動計画を立て、目標を達成するのがモチベーションになる人は、その方法でもいいですが。
集団から外れるのが怖い人や、異常者として見られることに抵抗がある人は、主観的な感覚を丁寧に扱って自分と向き合うと、湧いてくる感覚を大切に扱えるようになります。
主観は客観によって作られる
私たちは、自分を認識するために、他者の反応を必要とします。「私は何者か」というアイデンティティは、自分のみで作られるわけではなく、人との関わりを通して作られるものです。
個人の性質として個性を考えるとき、主観的な感覚を大切にしますが、客観視によって気づくこともたくさんあります。
最初から最後まで主観のみで貫くのではなく、自分の感覚を客観的に捉える機会も必要です。
個性・能力・才能という言葉が苦手だった
この記事を書いたのは、私自身が、個性・才能・能力という言葉が苦手だったからです。
「才能を伸ばそう!」
「人と違うことは、あなたの個性です!」
こういう謳い文句を見ては、そういっておけば特別っぽいという意図を感じて嫌悪感を抱いてました。
使っている人を批判したいわけじゃなく、そんなことを思ってたなぁっていう昔ばなしです。
むしろ普通になりたい
集団に入ると人の顔色を伺うクセもあって、同じようにできない部分が、とても気になるんですね。
自然と相手が望むように振舞う自分がいて、物理的に距離を置いてしばらくして気づくことも。繊細、傷つきやすいと言われることもありました。
のちにHSS型HSP気質の持ち主だと気づいたけど、最初のうちは繊細さが個性と言われても嬉しくなくて、「むしろ普通になりたいの!私を苦しめる個性を消したいの!」と思ってたんですね。
人と違うことで悩む相談者
そんな私のもとには、人と違うことで悩んでいる相談者さんが話に来てくれます。
周りからは「それが個性だよ」「大切にしていいんだよ」と言われても、本人は大切にする方法がわからなくて悩んでいるんです。
個性を伸ばすとか、才能を開花させてキャリアアップにつなげるとか、能力を活かした仕事に就くとか。
そういう言葉も頭には浮かぶけど、自分という存在の扱い方がわからなくて、明日生きる気力も起きない。
そんな人たちの相談を受けたり、私自身の経験もあって、人と違う部分にだけ目を向けて個性とすることに違和感をもつようになりました。
全体像として「個性」を知ると生きやすくなる
あなたという人間は、突出した部分だけで語れるわけではありません。
自己アピール目的で使うのであれば、差別化のために、人と違う部分を強調した方が良いときもあります。その場合は、目的の組織が求めている人物像を想定して、自分のなかのリソースを探ることが有効です。
一方で、人生の充実感や、「私は何者か」といったアイデンティティを育てる目的なら、人との違いを強調しすぎると逆効果になる場合があります。
客観的に観察できる事実だけでなく、主観的な価値観や、自然な心の働きを知ることで、見えてくるものがあります。
突出した一部だけ切り取って個性と考えるのではなく、全体像として捉えることで、自分の輪郭を知ることができ、生きやすさにつながります。