こんにちは、ももかですmomoka_hsphss
ちょっと堅苦しい話になりますが、ずっと考えているテーマなんですよね。
で、現時点で明確な答えがあるわけじゃなくて、考え続けることが大切なのだろうと思うので。
内面に名前をつけて分類することについて書いてみます。
内面に名前をつけて分類する
内面って、目に見えないじゃないですか。
心はどこにあるの?っていう話にもなってくるんですけど。行動を観察する?脳波を測定する?とかね。
人間は、色んな方法で、むかしから【心】を調べてきたんですね。
古くは、体液と性格の関係を分類したり。狐がついたとか、魔女の仕業だとか、何かと原因を求めてきたわけです。
で、現代では、医学、心理学、占い、スピリチュアルなどなど。
学問的に人間の【心】を解明して、大まかな【傾向】によって分類して、名前をつける。
だけど、私たちって、日常的にも人の心に名前をつけて分類しているんですよ。
心だけじゃなくて。
先生、生徒、医者、患者、親、子ども、身内、他人。とかね。
立場とか肩書でも分類できるし。
大卒、高卒、既婚、未婚、文系、理系とか。
どんな人生を歩んできたか?でも、名前をつけて分類できる。
名前がつくと理解できた気持ちになる
で、名前がつくと、私たちは目の前の人を理解できた気持ちになる。
たとえば、電車で前に座った人を見て、服装とか髪型とか座り方とか、外見から「こういう人なんだろうな」って想像しますよね。

スーツ着て革靴履いていたら、なんとなく、どんな仕事をしているか、想像できる。
じゃあ、その人と会話してみて、

両親を早くに亡くしたんですけど、
育ての親に恩返ししたくて、高卒から働いて。
いまは妻と子どもに恵まれて、仕事も充実しています
とか言われたら、
誠実な人
愛情深い人
真面目な人
とか、【心】に【名前】をつけて、その人を見ることができますよね。
そこまで具体的に「真面目だなぁ」とか考えなくても。
なんとなく信頼できそうだ
自分とは違う境遇の人なんだ
って、何かしら、過去に出会ってきた人と比べて、【判断】しますよね。
じゃあ、同じ人に



うつ病で、通院しながら仕事しています。
両親は虐待を繰り返した末に心中しました。
施設に預けられたあと、育ての親に引き取られて。
恩返しするために高卒から働いています。
いまは妻と子どもに恵まれて、仕事も充実しています。
でも、薬がないと普通に生活できないんですけどね
とか言われたら、どうでしょう?
このとき、あなたに心理学の知識があったら、どうでしょう?
うつ病がどんな病気で、
育ての親に十分な愛情を注がれないと、どんな大人になって、
その大人が、どんな愛情表現をするようになって、
どんな仕事の仕方をするか
そんなことが一瞬でイメージが浮かんでしまう。(私は浮かんじゃう)
最初の説明のときと、印象って変わると思うんです。見る目が変わるというか。
極端な例を出したけど、一度モノサシを手に入れると、そのモノサシを取り除いて見ることって、とても難しいんですよね。
とても自然に、理解できた気持ちになる。
名前との主従関係
私はモノサシを集め続けているので、自戒を込めて書きますが。
○○障害、××タイプって、無限に集まるじゃないですか。
専門用語だけじゃなくて、ネット用語も含めて、検索したら「あー、私これなんだな」って思うような説明が見つかる世の中ですよね。
その主従関係って、とても大切だと思うんです。
意識の向け方が、
用語 > 自分
になってしまうと、「私これなんだな」のなかの、【私】の存在ってなくなっちゃうんですね。
【私】について理解が深まっているのではなく、【用語】の理解が深まるだけなんですね。
だから、意識の向け方は
用語 < 自分
この比率にならないと、いつまでたっても、現実的な解決策とか対策が見つからない。情報に振り回されて溺れちゃう。
これ、他者を見るときも同じです。
用語 > 他者
となってしまうと、その用語に当てはめるために、目の前の【この人】が見えなくなってしまう。
名前に人格を乗っ取られる
内面を表す名前との主従関係によって、名前に人格を乗っ取られてしまうことも、あるわけです。
ツイートでは「うつ病」を挙げたけど、気質とか性格も同じです。
たとえば、だれかに



空気読めないよね
と言われて、それが記憶に強く残っていたとしましょう。
そうすると、自分が空気読めてないシーンを探しますよね。で、「空気読めない人」ができあがる。
本当に空気が読めてないから、「空気読めない人」と言われたのか?
「空気読めない人」と言われたから、そうなったのか?
卵が先か鶏が先か、の世界なんですよね。
人の平均的なことにはあまり関心を向けない
人間の内面に名前をつけて分類するとき、
- 質の違い
- 量の違い
この2つのどちらで見るかによって、まったく意味合いが変わってきます。
私たちは、人の内面も【量】の違いで見ているんですよね。
我々は人の極端なところは気づくが、人の平均的なことにはあまり関心を向けない。
米国MBTIトレーナー/ナオミ・クエンク


「質」の違いで見た場合
質の違いで見た場合、そもそも持っているものが違うと考えるので、比較や優劣をつけにくい。
全体として共通する要素はあるものの、それぞれが違うものを持っている、と言えます。
本来の「みんな違って、みんないい」とか「十人十色」は、こちらの意味合いです。
「量」の違いで見た場合
量の違いで見た場合、比較や優劣をつけやすい。
全体のなかで、どのあたりに位置するのかがわかるので、正常値・異常値(平均からどれだけ離れているか)という見方もできます。
現代の医学や心理学のほとんどが、人間の内面を数値化して【量】を測定するものです。
メリットデメリットを意識して扱うことが大事
内面に名前をつけて分類することは、メリットデメリットあります。
包丁と同じように、使い方によって毒にも薬にもなるんですよね。人を傷つける凶器になるし、美味しいご飯を作る道具にもなる。
そういう可能性があるのだと意識して扱うことが大事なのだと思います。
内面に名前をつけて分類することは、医学であれ心理学であれ、道を開くし、閉ざしもします。
教科書的な説明に当てはめることに固執してしまうと、目の前の「この人」が見えなくなってしまいます。
だからこそ、名前に人格を乗っ取られないように。
現象と存在を切り分けて考えていきたいです。
ものすごい真面目に語ってしまった。。。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!