どうしても「私に問題があるんだ」と思って、克服・改善しようと頑張るよね。
うん、「変わらなきゃ」って、たくさん努力してきたでしょう。
弱い自分を変えよう!
早く気持ちを切り替えよう!
ブレない自分軸を作ろう!
淡々と続けられる人になろう!
こうした努力が必要なときもあるし、いつかは、向き合うテーマになるかもしれません。
だけど、本当は、共感していることに気づくだけでいいんです。
ものすごい極端な言い方をすれば、HSS型HSPの悩みは【言語化】で解決すると思っています。
それって本当に私の課題?
実はね、いま抱えている悩み・問題。「私の課題」と思っているソレ。他者の課題を肩代わりしているだけかもしれません。
他者の課題を肩代わりする3つのステージ
自分以外の「何か」を必死に取り入れようとする
意識が「何か」に向きすぎて自分が見えなくなる
本当は「何か」をする必要はないのに、他者の課題を自分のものとして、克服しようと努力しつづける
という事実がね、けっこう、あるんですよ。
心の傷 × 高い共感力
もって生まれた性質を活かしきれてない人は、次のような特徴があります。
1)共感力や刺激の受けやすさに振り回さていて、自分の生まれ持った気質を前向きにとらえることに抵抗がある
2)他者の感情や周りの環境に影響を受けやすく、自分軸をキープするのが難しい
3)ネットの解説記事を読んで少しでも自分と違う部分があると「私の理解が間違っているのかな?」と不安になる
4)○○障害、××症候群といった情報に触れると、どんどん「それっぽい振る舞い」が増えていく
こうした現象は、
自分自身のもっている感覚を否定された経験
潜在的に感じている「私は他と違う感覚」
など、トラウマやコンプレックスに加えて、常時オンの共感力が掛け合わさって起こります。
心の傷 × 高い共感力
この方程式を持っている人は、無意識のうちに自分以外の「何か」という外側の基準を求め、その「何か」に自分を融合させることで、本来の感覚が解放されないようにセーブしているんですね。
言葉を脳内変換して受け取る
この状態だと、
あなたの感覚を優先していいよ⇒(どうせ同じようになれないんだから)
何もしなくていいよ⇒(どうせ何もできないんだから)
自分で決めていいよ⇒(けっきょく自分次第だから頼らないでね)
こうしたメッセージに脳内変換されてしまう。
で、共感力の方が悪者になって、鈍感になろうとしたりね。
なので、「気づく」というのは、シンプルでありながら、絶大な効果を発揮するわけです。
何者にもならなくていいんだよ
私の話になりますが、
自分がなにをすればいいか、わからなくて。肩書をつけると捨てたくなって。だれかが望む「ももか」になることでしか、自分の存在を認識できなくて。
だけど、だれかの言葉を完コピするほど、どんどん世界が色褪せていく。
ずっとお世話になっているセラピストさんに、
「何者にもならなくていいんだよ」
と言われて、ポロポロ泣いたくらい。
人の言葉を借りないと、自分のやりたいことが主張できなかったのです。
そんな私が、
自分自身の経験と、そこで感じた「進みたい道」を信じて。だれの許可も得ず、自分で決めた人生の選択が、ネットでの発信活動と心理カウンセリングです。
この活動をしていると、「私がいる」という感じがするんですよね。
この感覚に対する喜び、わからない人は、本当にわからないでしょう。
そんなに、自分、自分って、何言ってるの?当たり前のことじゃん?自分大好き人間か?
みたいな、ね。
共感力が味方になる人生
とはいえ、神様仏様になるわけじゃなく、ただの人間なので。
進んでいけば、新しい景色が見えて、また自分が見えなくなることもあります。
迷って、悩んで、立ち止まって。そのたびに、未熟な自分に落ち込んで、視野の狭さに恥ずかしくなって。
もうやだ、、、と思いながら、しばらくすると、また立ち上がる。
立ち上がるたびに、共感力が心強い味方になる。そんな人生です。
いつも太陽に向かって大きな花を咲かせる、ヒマワリになれなくても。

雨に打たれても、雪に埋もれても。春になったら花を咲かせて、見つけてくれた人に元気をおすそ分けする。
野花のような人間でいいのです。

あなたは、そこで咲いてるだけで人を幸せにする存在なのだよ。
なにも問題はないんだよ。
もうすでに、価値があるのだよ。