こんにちは、ももかですmomohsphss
HSP気質の特徴は、繊細で感受性豊かで、人の気持ちを自分のものとして感じることです。
ところが、実際にお話を聞いていると、
「私は人の気持ちがわからない」
「冷たいと言われた」
「空気が読めない」
こんなことを教えてくれる方が多いんですね。
本当に繊細なの?感受性って言われてもピンと来ないけど?と、思うのです。
そう感じる理由は、いくつか考えられますが。
一般的に触れられていないのが、繊細さを抑圧しているケース。高い共感力で消耗し、自分自身に鈍感になっている人です。
HSPなのに人の気持ちがわからない
高い共感力で消耗して自分に鈍感になると、生きづらさの原因になります。

自分のことがわからなくて、漠然とした不安感が消えない。
人との距離感もわからず、両極端な二面性に振り回されて、扱いづらい自分が嫌い。
心を開いた人にはワガママになりすぎて、逆に距離を置きすぎたりもする。
表面的には社会に適応しているけど、満たされなくて自信がない。そんな気弱な一面が、なかなか伝わらない。
興味が湧いたらチャレンジしたけど、「これで良かったのかな」って後悔に襲われる。
弱音を吐くことも、できない自分を見せるのも苦手。傷つけた人もたくさんいる。
人に気に入られる術を知っていて、どこか冷めた気持ちで「ほら、これが欲しいんでしょ」と思いながら受け答えしている自分がいる。
繊細さを抑圧して自分に鈍感になると、気持ちの交流ができなくなり、人間関係や仕事でトラブルを抱え、孤独感が強まるんですね。
原因のひとつに、アンバランスに発達した2種類の共感力があります。
HSPの生きづらさと2種類の共感力
共感力には2種類あります。
情動的共感 | 認知的共感 |
---|---|
生まれつき | 成長で身につく |
動物的(≒無意識) | 理論的(≒意識的) |
生きづらさを抱えているHSPは、情動的共感だけが過剰に発達し、認知的共感を使うのが苦手なのです。
情動的共感
情動的共感とは、生まれつき身体に備わった機能で、自動的(≒無意識)に起こります。
脳のミラーニューロンという神経の働きで、動物的・本能的に相手と同一化します。
- 他人のあくびを見ると、自分もあくびをしたくなる
- 赤ちゃんがお母さんの動きを視線で追う
- 他人がケガをした場面を見ると、自分も同じように痛みを感じる
など。
HSPの説明でよく言われる「相手の状態を自分のことのように感じる」というのは、情動的共感によるものです。
情動的共感は、「私」と「あなた」が一体化(同一化・同調)してる状態なので、次のような現象が起きます。
- 相手の表情や声のトーンの変化を瞬時に察知する
- 部屋に入っただけで「あの人疲れてるな」とわかる
- 一緒にいる人によって、話し方、話す内容、振る舞い、考え方が変わる(離れると戻る)
- 知らないうちに体調不良になる
- 理由もわからず感情がコロコロ変わる
これらは自分のものだと感じますが、実は自動的に他者と共感し、一体化したことで起こっている可能性があるのです。
認知的共感
認知的共感とは、言語を使って理論的に身につける共感です。
「好きな人が笑っていると嬉しくなるよね」
「冷たい話し方をされると『嫌われてないかな』って不安だよね」
こんな感じで、成長する過程で経験した「この状況なら、こんな感情になるものだ」という理論に基づいて、他者の気持ちを共に感じるものです。
認知的共感は、「私」と「あなた」を区別したうえで、心理的には距離を保ちつつ、相手の気持ちに共感するんですね。
これは、「私は気にしないけど、あなたは気になるのね」みたいな、心の境界線にもつながる関わり方です。
過剰に同一化すると自分がわからなくなる
私たち人間は、まず情動的共感によって身体の反応が起こり、そこに「嬉しい、楽しい、怖い、不安」といった感情を表す言葉を当てはめて、認知的共感をします。
言葉で感情を認識できると、「自分」への理解が深まり、自他の区別がつくようになります。つまり、自己認識が深まるのです。
HSPなのに人の気持ちがわからない。むしろ自分の気持ちがわからない。
ジェットコースターのように乱高下する感情に振り回されて疲れる。
こう感じる人は、情動的共感力は高く発達しているのに、そこに気づいて言語化するのが苦手なため、「自分」と「自分以外」の区別がつかなくなってしまうんですね。
他者と過剰に同一化しているので、自分がわからなくなるのです。

こうした現象はアレキシサイミアと呼ばれ、愛着や依存との関係も指摘されています。
アレキシサイミアの研究では、自分の感情理解が曖昧な人ほど、他者の苦痛を自分のもののように感じやすいと言われています。
他者の苦痛を受動的に受け止めることはできるけど、自分と他者の区別が困難なので、漠然と他者の苦痛が伝染するんですね。
そのために、他者の感情を頭で理解できても、ほどほどに距離を取って境界線を作ることが難しくなってしまうのです。
人と話すのは好きだけど疲れる
2種類の共感力がバランスを失うと、人付き合いも疲れちゃうんですよね。
口数が少ないわけじゃないし、会話ができないわけでもないんです。むしろ人と話すのは好きだけど、「気持ち」に触れるのが苦手なのです。
- 相手のエネルギーに圧倒される
- 自己主張すると周りと温度差を感じる
- 心を許した人には過度に依存的になってしまう
- 人に依存するのが怖くて距離を取り過ぎてしまう
こんなお悩みがある場合は、アンバランスに発達した共感力が原因かもしれません。
気持ちを我慢する、強く押さえつけられた経験
気持ちの言語化が困難になる原因は、生まれ持った性格特性と、環境要因が影響していると言われています。(まだ解明されていない部分も多いです)
私の現場感覚では、気持ちを我慢したり、強く押さえつけられたりした経験も、原因のひとつであると考えています。
- 感じたことをそのまま言葉にしたら怒られた
- 気を利かせて声をかけたらネガティブな反応をされた
- 幼少期~思春期までに親への感情表現を我慢する時期があった
- 自分の考え方が周りと違う気がして言葉にしなくなった
- 高圧的な教師の指導を受けた
- 何も考えずに会話すると「は?」と不思議な顔をされた
こうした経験をすると、身体の反応として”気持ち”が動いても、言葉で表現する手段を持たずに大人になってしまうんですね。
そうすると、自他を同一化させたまま(情動的共感に頼ったまま)相手の顔色を読んだり、行動を選択したりするのです。

自分が感じていることを否定し、気持ちを封じ込め、言葉にするのも諦めて他者に合わせる。
この現象は、HSPの防衛反応だと言えます。
無自覚レベルで高く共感しているのに、それを言葉で表現できない状況では、繊細さを抑圧して、自分に鈍感にならないと生きられないからね。
他人軸になりやすい
言語化できないとSOSを出せないし、相手に気持ちが伝わりにくくなってしまいます。
さらに身体レベルでは高く共感(同調・同一化)しているので、他人軸になりやすい。
その結果、環境や他者の影響を大きく受けることになり、気力・体力のキャパを超えて頑張りすぎてしまうんです。
ほどよく距離を取って気持ちを共有するのが苦手で、親密になり過ぎたり、距離を取り過ぎたりする。
感覚的には他者の気持ちを察知して、表情を読み取って、求められる行動に移せる。だけど、それを他者に伝える段階になると、わからなくなる。
寂しい?何それ、美味しいの?
ここまでの話は、私の実体験でもあります。
HSPを知るまえ、こんな状態でした。
- 相手が私にどうして欲しいのか、なぜかわかってしまうので、求められる行動を取ってしまう
- 目線や表情の微妙な動きで、心を開いてくれた瞬間がわかる
- 何かで仕入れた情報から意見するのは得意だけど、自分を主語にして話すのが苦手
- 自分の気持ちを言葉にできない
営業や販売の仕事をしていたので、お喋りは得意でした。友達も彼氏もできるし、ムードメーカーとも言われる。だけど、気持ちの交流になると、急にわからなくなる。
友達に「一人暮らし寂しくない?」と聞かれて、寂しいってどんな感覚なのか、本気で悩んだこともあります。

寂しい?何それ、美味しいの?
毎日過呼吸で、駅のトイレから出られない日が続いて、家に帰ると過食して。それが「つらい」と思わなかった(言語化できなかった)のですね。
だから人にも相談できない。最終的に体の不調や、お金の問題が起きて、強制的に終了する。そこまでいかないと、自分の状態を認識できなかったのです。
なんとなく、流れの早い川で溺れそうな息苦しさを感じていたけど。自分に鈍感だなんて、当時は思いもしませんでした。
過剰な同一化を弱め生きやすくなるには


2種類の共感力は、バランスが取れると過剰な同一化が弱まり、日常生活が楽になっていきます。
共感力を抑えたり、消し去るのではなく。
気持ちに気づいて言語化する習慣をつけ、適度にコントロールできれば、十分生きやすくなりますよ。
気づきを増やす
感情、思考、体感の3つの軸から自己探求し、「いま、ここ」の気づきを増やしていきます。
本来もっている感覚を否定せず、消そうとせず、ただ現象として受け入れる。
考え方を変えようとせず、まず体の反応を確認してみる。


カウンセリングでは、「どんなこと感じてるのかな?」「どんな言葉が当てはまるかな?」という感じで、じっくり味わう時間を取ります。
どの感覚も否定せず扱えるようになると、心の境界線(バウンダリー)が作られ、本来取り組む問題がクリアになります。
たとえば、「仕事が続かない」というお悩みに対して、「続けられる仕事を探しましょう」と条件反射で結論を出すのではなく。
仕事をやめる行動に、どんな気持ちが埋まっているのかな?
続かないことで悩んでしまうのは、だれの影響を受けているのかな?
こんな感じで掘り下げていくんですね。
そうすると、「お母さんの価値観と同一化し、お母さん基準で仕事を選んでいた」と気づくかもしれません。
この場合は、ご自分とお母さんの価値観を明確にしつつ、ブレーキをかけている部分を修正していきます。
言語化を増やす
気持ちを言語化できると、「自分」への理解が深まるので、必然的に「他者」の理解も深まります。
そうすると、適度に距離を取って自己主張できるようになり、自分を守りながら、心地よい人間関係を築くこともできます。
そして、自分が本当にやりたいことが見えてきて、毎日の充実感が高まるんですね。


私は、自分軸は作るものではなく、思い出すものだと考えています。
本来、HSP気質をもつ方は、独特なオリジナリティ溢れる世界観をもった人です。
生きていくなかで、多数派に迎合せざるを得ず、切り捨てるしかなかったのだと思います。(そして、じんわり世界に絶望している)
だから、素直な自分の感覚を言葉にできると、自信につながります。
このとき大切なのは、適切な言葉を当てはめる優先順位は限りなく低い、ってことね。
まず、表現する。
意思疎通のための「会話」ではなく、絵画ならデッサンのように。粗削りでも、まず出してみるのです。
ひといちばい心優しく温かい人
人の気持ちがわからない。自分のこともわからない。好きになれない。
そう感じるあなたは、ひといちばい心優しく温かい人です。
本当は小さくもっていたけど、
「こんなもの、もっているからダメなんだ!」
「必要ないんだ!」
って、切り捨てて、育むことをやめてしまった感情の原石があるのです。
見失っているだけで、本当は持っている。
だけど、自分では「人の気持ちを考えられない冷たい人間だ」と思っているんですよね。
こんなこと言えるのは、私が経験したから。
私は自分自身のなかにある、優しさ、温かさ、愛情に気づけたとき、どんどん心と体が緩んで、本当にやりたいことを形にする勇気も湧いてきました。
周りにいる人の温かさにも気づいて、現実は想像よりも優しかったとわかりました。
だからこそ。
感受性豊かで繊細で、高い共感力をもつがゆえに、生きづらくて苦しんでいる人の力になりたいのです。
あなたが自分を大切にしながら、本当にやりたいことを思い切り楽しめるように。大好きな人に囲まれて、温かい時間を満喫できるように。
心の底から笑えるように、お手伝いしています。