「アルジャーノンに花束を」から学ぶ障害名とアイデンティティ

中学生のころ「アルジャーノンに花束を」というドラマが好きでした。

知的障害を持つチャーリィという男性が、脳手術をして脅威のIQを手に入れたものの、後退して手術前より低い知能になっていく。その過程を描いた話です。

当時はユースケ・サンタマリアさんが主演で、ヒロインが菅野美穂さん。その後、山下智久さん主演でも放送されてましたね。

原作の小説も購入して読んだけど捨ててしまったので、最近ふと思い出して再購入しました。

新装版になっていて、当時の花束の表紙じゃなくなっているのが残念…

それにしても改めて読んでも号泣。

中学生の私は、健気に生きるチャーリィとアルジャーノンが好きで、物語として涙していた気がするけど。

いま読み返してみると、「なぜ、知能が低いときのチャーリィは人気者で、知能が高くなったら周りの人たちと上手くいかなくなったんだろう?」という疑問が湧いてきました。

知能が高くなって人格が変わってしまった?周りの人間の嫉妬と劣等感を刺激したから?

知能が低いときは、「ハンデがあるのに心が優しい」という条件付きの評価だったから?

知能が高くハッピーエンドなら、私は同じように感動しただろうか?

そんなことが浮かんできました。

昔のチャーリィを消すことはできない

チャーリィは手術をしてから徐々に知能が高くなるんですが、それに合わせて猜疑心と怒りが芽生えるんですね。手術前にはなかった情動が生まれる。

知能というIQの向上と、精神性の発達というEQのバランスが取れずに、「わかるけど、わからない」という苦しみを抱えることになります。

そして自分とは何か?を見つける旅をします。

下のセリフは、過去の自分との葛藤の末たどりついた、チャーリィの気づきです。

つまりぼくが言いたいのはね、チャーリィ・ゴードンは過去において存在していたし、その過去も現実なんだよ。

古い建物をこわさなくては、その跡に新しい建物を建てるわけにはいかない。だが昔のチャーリィを消してしまうことはできないんだ。彼は現に存在する。

(中略)

ニーマーが僕を創造したと言ったとき、屈辱を感じた。だが、チャーリィは、過去において存在していたばかりか、現在も存在しているということがわかったんだ。

ぼくの中に、ぼくのまわりに。

引用:アルジャーノンに花束を

過去を乗り越えようと思ったとき、どうしても「記憶を抹消して別人になる」みたいなイメージを抱いてしまうけど。これまでの存在を持ち続けながら、現在を生きていくものなんですよね。

障害名とアイデンティティ

障害に限ったことではないけど。一般化された名前が、その人のアイデンティティになってしまうことって、あると思います。

チャーリィはチャーリィでしかないけど、知的障害という名前が付くと「知的障害のチャーリィ」になる。

家族から捨てられたこと、パン屋でトイレ掃除と配達の仕事をしていること、夜間学校で勉強していること、夢を持っていること。これらすべてが、知的障害というフィルターを通して語られる。

いつのまにか、「私は何者か?」というアイデンティティが、障害名の方に付加されることになる。だけど、過去も現在もチャーリィは存在していて、それは彼のなかに生きている。

チャーリィは、知能手術のプロジェクトリーダーであるニーマー教授が、チャーリィを実験用ネズミと同じように扱い、さも「自分が創造主だ」と言わんばかりの態度を取ることに憤りを感じていました。

ニーマー教授にとって「知的障害者」は存在するけど、「チャーリィ」は存在していない、と感じたのかもしれません。

だけど自分で探し回ったら、過去にも現在にも、ちゃんと存在していることがわかった。この気づきがターニングポイントでした。

望んでいたことに気づく

自分が何者か?という問いの答えに辿り着いたとき、チャーリィは自分が望んでいたことを、はじめて抽象化して結論付けます。

探し求めていたのは、人々とふたたび感情を分かちあえる方法だったんだ。一方では、知的な自由を保有しながらね。

引用:アルジャーノンに花束を

文章にするとシンプルだけど、この結論に辿り着くまで、長い月日がありました。

何度も【経過報告】として言語化をくり返しながら、自分が望んでいること、どこに希望を見出していたのか、そんなことを探し続けたんですね。

シンプルに言い切っていて、ひとつの結論のように見えるけど、チャーリィの心には言葉以上の情景が生まれていると思いました。つまり、この結論はゴールではなくスタートなんです。

フィルターを刺激されました

大人になって読んでみると、いろいろ考えさせられる本です。

知能の変化によって文章が変わっていくのも、リアリティを感じられて泣けるポイント。

だけど、この見方も

「多くの人ができることが、できない人」とか「できるようになったけど、再びできなくなった」っていう、ギャップを認識できる前提があるから、感動が生まれるのかな?

とか、自分のフィルターについて、とても考えちゃう。

有名な小説だから既読の人多いと思うけど、もしまだの人がいたら読んでみてください!

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