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プロフィール
馬場 桃香
ばば ももか
\HSS型HSPの心地よい働き方/
IT通信系営業、アパレル販売、派遣事務を経験後、独立。300人以上の相談実績があり、おっとりした喋り方と鋭い分析のギャップが人気。

2017年にHSS型HSP気質が腑に落ち、そのままの自分を受け入れることを決意。気質の研究と考察をブログで発信すると続々とメッセージが届くようになり、相談サービスを開始。

自身の経験を活かして働き方コンサルを提供すると、自然体の魅力に気づき、肩の力を抜いて働けるようになると評判に。「やりたかった仕事をスタートできた」「強みが明確になって集客しやすくなった」という声をいただいている。

現在は、マイペースに働きたい方、個人ビジネス(フリーランス)で独立したい方の心に寄り添いながら、自己理解、商品化、ブログSNS集客などサポートしている。

埼玉県の田舎在住/不器用なA型/カフェ好き紅茶党

日記公開チャレンジの波乱~家族との連絡を絶った結果~

こんにちは、ももか(momohsphss)です。

「自分を隠して生きるのはやめよう!」「自分を救いたい!」と思い、ブログで日記公開チャレンジを始めたとき。同時進行で、もうひとつチャレンジをしました。

あらゆる連絡を絶って、ひとりで集中する時間を作る

他者の声をシャットアウトして自分に集中するために、距離を置くことにしました。

で、実家の家族に「しばらく会わないから。連絡もできないよ」と伝えたのです。

わたしにとって、家族に会わない宣言はとっても勇気のいるバンジージャンプだった!

この宣言によって波乱が巻き起こるのですが、結果的に

  • 両親の愛情を確認することになった
  • 完全に心を開くまでにはならないけど、「思うように振舞えるんだ」と実証できた
  • 生きやすくなるには習慣を変えることが大事だとわかった
  • 「寂しさ」を体感できた

こんな気づきがありました。

過保護な家族に「連絡を絶つ」宣言

わたしの家族は過保護でして。

母は結婚後しばらく専業主婦でしたが、子どもが小学校に入学したころ事務として社会復帰。

父は独学でプログラミングを学んでエンジニアになり、外資系企業に就職。その後国内の有名企業に転職して管理職になりました。(さらにその後卒サラして起業)

小さいころから、外食、旅行、プレゼント…よく父に遊んでもらったし、母は得意な洋裁で服を作ってくれました。

外資SEの父は海外出張も多く、夜勤もある激務。そんな激務を感じさせないくらい、遊んでもらった記憶しかない。

年子の姉もいたし、母は専業主婦だったので「寂しい」と思ったことなかったんです。小学校低学年までは、楽しかった思い出ばかり。

それが高校生のとき、とあるトラブルで冷戦に入ります。大人になっても後遺症が残り、目を見て話せなくなります。

仲間外れにされた

裏切られた

信じられない

と思いつつ、「親は尊敬するもの」というモノサシを握りしめていたので、態度だけは聞き分けの良い子の癖が抜けなかった。

2か月に1回は地元の美容院に行くついでに実家に帰る

小まめに近況報告のLINEを送る

母を食事に誘って一緒に出掛ける

こんな感じで、なんだかんだ会っていたので、母への連絡が3か月以上途絶えたことがなかったのです。

そんな環境だったので

自分の人生を歩くんだ!

わたしは自分を救いたい!

自分に集中しよう!

と、日記公開チャレンジを始めるとき、家族に「しばらく会わないから。連絡もしない」とLINEしました。

親の期待をあえて裏切る

家族との連絡を絶つチャレンジは、こんな意図がありました。

  • 親が自分に抱いているであろうイメージから離れたい
  • 人の意見を気にしすぎる自分を変えるために、親の声をシャットアウトしたい
  • なにか始めるときに反射的に親の反応が頭に浮かぶ自分を変えたい

明確に意識していたわけじゃなく、頭のなかでボンヤリ考えながら(もしかしたら日記に書いたかも)実行に移しました。

「優しくて良い子で、言うこと聞くももちゃん」

このイメージがあるだろうな…と思ったので、あえて期待を裏切りたくなったのです。

大人の反抗期ですね(^-^;

姉から聞いた話ですが、母は

捨てられた……

と、職場の同僚に嘆いたそうです。温和で静かに傷つくタイプなので、淡々と話したでしょう。

あからさまに落ち込んで元気がなくなり、「変な宗教に入ったのかな…」とひたすら心配したそうです。

※尊敬している大好きな母です。

そんな母の姿を見ていた姉には、3か月後に久しぶりに再会したとき「不信しかないから。わざわざ言う必要ないじゃん。」と冷たく怒られました。

マジで今はそう思う。不器用で「上手く濁してごまかす」ができないの。

親との関係性を本気で考えるきっかけに

適応障害と同様に、親のことも

もう終わったことだから

わたしには必要ないから

と思っていたけど。

あえて波風立てることで、改めて関係性を本気で考える機会になりました。

さらに!

3か月間、自分から連絡しないチャレンジをしていると、

あれ?わたし、1か月だれとも遊ばないと、自分から友達に連絡していたな

と気づいたんですね。

ひとりでいたい

ひとりがラクだ

なんて思っていたけど、自分から「遊ぼう」って声をかけてた。そこで初めて

寂しい

という感情を味わったのです。

それでも変わらずに受け入れてくれる母の存在

3か月間で

  • 10年分の日記公開
  • あらゆる連絡を絶つ

という2つのチャレンジを実行したあと、久しぶりに母に再会しました。

地元の駅に降りて、迎えに来てくれた車のまえで

大変申し訳ございません!

と、腰を曲げて勢いよく謝罪するあたり、わたしは悪い子にはなれないようです(汗)

大人しくて控えめな母は、優しく「おかえり」と言ってくれました。そのままお昼を食べに行き、行動の理由を正直に話しました。

泣きながら話すわたしに、母は「なにができる?」と聞いてくれて。

ひどいことしたのに変わらず受け入れてくれるんだ。わたし愛されてるんだなぁ…

と思ったのです。

だからといって、大人の反抗期がスッキリ終了したわけではありません。このあと2年くらいは、両親に感情をバンバンぶつける時期に入ります。

わたしが自立できないのは、母が自信がなくて未熟だからだ!

わたしは、あんな風にならない!

などなど。

いま思うと【投影】の数々を向け続けました。

心理的距離と物理的距離

親との連絡を絶つチャレンジで学んだのは、

  • 自分の意思で人前での振る舞い方を変えられること
  • 思っていた以上に「人と一緒にいる時間」を求めていたこと
  • 自分に集中するには一定期間ひとりになる必要があること

こんな感じ。

物理的に距離を置くことで「心理的にめちゃくちゃ癒着していた」と気づいたんですよね。

境界線が薄い人は、家族との心理的距離が近い傾向があります。これは離れてみないと体感できない。

離れてみて、はじめて

めちゃくちゃ癒着してた

と気づくんです(汗)

人間の脳は急激な変化を嫌うので(可塑性と言います)

少しずつ少しずつ

「ちょっと気づいた」

「ちょっとわかった」

「ちょっと違うかも」

っていう変化の積み重ねで生きやすくなるのです!

実家から出た経験がない人は、ひとりでビジネスホテルに1週間泊まってみてください。

そのあいだ、家族との連絡を絶ちます。

わたしの失敗を活かして「ネットつながりにくいから連絡できないよ~」くらいに伝えてね☆

部屋を借りるより安上がりでリスクもないので、チャレンジしやすいと思います!

試してみて~

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