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プロフィール
馬場 桃香
ばば ももか
IT通信系営業、アパレル販売など経験後、独立。HSS型HSP気質をもつ方へメンタルケアからビジネスサポートまで提供している。

延べ280人以上の相談実績あり。人柄を重視した『あったかマーケティング&狭くて深いつながり作り』が得意。

自身は、HSS型HSP気質をこじらせ、16歳で適応障害と診断さた経験がある。

社会人になり、全国トップレベルの営業成績を記録するが、ストレスで潰れて仕事が続かない悩みも抱えていた。

2017年に自分の気質が腑に落ち、「そのままの私で生きる!」と決意。

HSS型HSPである自分を研究し、ブログで発信を始めると、読者さんから続々とメッセージが届き始める。この経験から、同じように悩んでいる人の力になりたいと思い、相談業を開始。

現在は、埼玉県の田舎からオンラインをメインに活動中。

「逃げなかった」という記憶がほしかったのだと思う

こんにちは、ももかですmomoka_hsphss

新卒で入社したときは、キラキラした社会生活に夢を抱いて。それが、いざ社会人になってみたら、

ルール

前例

価値観

時間

いろんな「しがらみ」があって。

学生のときは、同じようなタイプの友達と、自分が「仲良くなりたいな」と思った子だけ、付き合うことができたけど。

仕事をはじめたら、苦手な人とも上手くやる術を身につけないといけない。

それって違うんじゃないかな

もっと、こうした方がいいんじゃないかな

なぜ、それが必要なんだろうか

気づくこと

考えること

動きたくなること

いっぱいあるのに。

それは「みんなが心地よくなるように、もっと良くしたい。そのなかに、自分も身を置きたい。」っていう気持ちだけなのに。

上司や先輩は、

そういうものだから

考えすぎ

そこまでしなくていいよ

なんか…ブレーキかけらるような。

え?そこまでやったらいけないの?

わたしが間違ってるのかな?

社会で仕事するって、諦めることなの?

もういいや

どうせ、こんなものなんだ

いや、違う。もっと、なにかあるはずだ。

そうやってグルグル答えを探してる。

わたしは、社会人1年目から、ずーーーーっと、こんな気持ちを抱えてたんですね。

理不尽に耐えてやり抜いた派遣事務

なんとなく会社員で働き続ける自分に違和感をもって、貯金もなく、計画もないままノリと勢いでフリーランスに挑戦して。借金作って失敗して。

そこから目が覚めて、現実と向き合う決意をして。

フルタイムで派遣事務しながら、ブログやSNSの投稿も続けたのですが。

いまだから言えるけど、派遣事務の仕事でも、理不尽なこと、いっぱい経験しました。

セクハラ被害にあって、派遣会社を間に入れて交渉したり。

お局社員さんは、女性同士で仲が悪くて、板挟みになったり。

マウント取ってくる男性社員もいたし、キャバ嬢扱いしてくる人もいたし。

思い出のカミングアウト

これが普通の社会人なのか

わたしは既に、個人としてお金をいただく経験を積んでいたので。

「ここにいる人、みんな、社員だけどお客さまみたい」なんて思いながら仕事してました。

会社に何をしてもらうか?

会社からどれだけ優遇してもらうか?

いかに要領よく、都合よく、自分に負担のないように人を動かすか?

それでいて、「うちの会社は」って、自分のものみたいに話す。

これが普通の社会人なのか。

これが当たり前で、わたしが間違ってるのか。

なんて、思いながら。

HSPの活動してることは、だれにも言わなかったので。上司から「ぜったい残業しないよね」って、ずっと嫌味を言われたしね。

それでも。

「わたしは負けない」

この気持ちだけで、3年間過ごしてた。

「逃げなかった」という記憶が欲しかったのだと思う

そんな派遣時代に読み始めた、お気に入りのマンガ【3月のライオン】

主人公の零(レイ)は、中学生で将棋のプロ棋士になり、「天才」と呼ばれて業界では有名人。

だけど、小さいころに交通事故で両親と妹を亡くした零にとって、将棋は義父から見放されないように、生きるための手段だった。

いつも学校では、いじめられて、無視されて。

そんな零は、中学を卒業後、プロとして働く決意をして棋士の仕事をスタートしてから。

1年遅れで、高校に通い始めたんです。

同じようにプロ野球選手を目指している男の子から、「なぜ、プロになってから学校に戻ったんですか?」って聞かれたとき。零は、

「逃げなかった」という記憶が欲しかったのだと思います

って答えるんですよ。

このセリフに、とても共感した!!!

わたしはずっと。

自分の考えが間違ってるから、その場のルールに合わせて動くんだ

そんな適応パターンが染みついちゃって。

「ほかの人が間違っていて、自分が正しい」

そうやって自分を信じることが、できなくなっていました。

それで、「変えられないなら、自分がいなくなればいい」って諦めて転職をくり返してたんですね。

「ただの意地」を大切にした

起業するか、会社員になるか。ずっと踏ん切りがつかなかった。

社会のヒエラルキーのトップは、会社員で何十年も働き続けられる人だと思ってたから。

そこに行けないわたしは、浮世離れした怪しい仕事で、だれにも理解されず、「なにやってんの?」って笑われながら生きてくんだ。

そう思ったり。

派遣をしながら、「ワンチャン、会社員いけんじゃないの?だって、いままでも成果出してたじゃん」とか、とても葛藤があったけど。

理不尽に耐えながらも、最後までまっとうしたのは、意地。

「逃げなかった」という記憶が欲しかった。

最後までやり抜いた

納得するまでやった

それでもダメなら、もう本当にダメなんだろう

負けず嫌いで向上心オバケの自分が、心の奥底から自然と「もういいや」って思えるまで。決めたことをやろう。

で、最後までまっとうしたら、達成感がハンパなかった。

最終日は、引継ぎしながら「この環境で、よくやったよ自分」ってボロボロ泣いた。

周りは、なんでそこまで泣いてるか、理解できなかったと思うけど。

それでもいいの。だれよりも、自分がいちばん知ってるから。

って感じで

自分との絆、信頼関係を作ってきた話でした!

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