この記事では、多くの人に参考になりそうな事例をピックアップし、解説を含めて検討していきます。
今回は「頼ったり、甘えるのが苦手な30代女性、N子さん」のケースです。先日、両親の愛情を実感したエピソードを報告してくれました。
気質・性格、ナラティヴ・セラピーの視点から、変化が起きた要因などをまとめます。
30代女性、N子さんのケース
N子さんは、都内の某メーカーで研究員として勤務しています。30歳を過ぎ、リーダーとしてチームをまとめる仕事も増え、精力的に働いています。
彼女が自分に興味をもったのは、部下がHSPではないかと思い書籍を読んだら、自分自身が該当することに気づいたから。
そして刺激追求型(HSS型HSP)の存在を知り、生活習慣で工夫できることを探し始めた状態でした。
人に頼れない
N子さんが自分自身のテーマに挙げたのは、人に頼れないこと。
完璧な状態じゃないと人前で披露できないと感じ、ちょっとしたSOSを出すのも苦手意識をもっていました。

「わかりません、教えてください」って言えないんです。めちゃくちゃ勇気を振り絞って、ものすごく悩んだ末に言う。
周りの人は、相談とかに躊躇してなくて。私が2日くらい悩んでいることを、5分くらいで片付けちゃって。
仕事では率先して動き、人と協力して成果を出し、同僚とも問題という問題はありません。ところが、相談するタイミングに悩んでいるうちに、自分で自分をさらに追い込んでしまっていました。
N子さんは、「周りから落ち着いて見えると言われることが多く、内心パニックになっているのが伝わらない」と教えてくれました。
繰り返す体調不良
N子さんには、もうひとつ悩みの種がありました。
新しい経験ができると思うとワクワクして行動に移すけど、体がついてこないのです。時期によっては、毎月のように風邪を引いたり、入院したり。
繰り返す体調不良によって、チャレンジを中断せざるを得ない状態でした。



新規事業のプロジェクトメンバーになったのに、これからってときに病気になって入院しました。
ずっとやりたかった仕事なのに、途中で断念したのが、すごく悔しい。
旅行好きで多趣味な彼女ですが、家に帰ると電池が切れたロボットのようにボーっとするのが習慣になっていて、不眠にも悩まされていました。
休まず会社へ行けるけど、薬を飲んだり病院に通ったりして、やり過ごす日も多いとのこと。
セッションで話したこと
セッションでは、N子さんのことだけでなく、周囲の人々との関係性も満遍なく教えてもらいました。
「頼れない」が家族や恋愛にも浸食しているのか確認したところ、ご両親との間に同じようなエピソードがあることがわかりました。



父親がすぐキレたり、感情的になる人です。家族のことを考えると、頼れる人がいないですね。むしろ、私が引っ張る役です。
早すぎた自立
両親に頼ることをやめた自分の人生に対して、「早すぎた自立」と名付けるのはどうか?と提案したところ、N子さんは笑って同感してくれたので、その線で話を進めていきました。
話のなかで意識したのは、悪者を作らないことです。
家族構成や、両親の人物像、見た目の話などから、N子さんと周りの人々が、どんな影響を及ぼしあっているのか、整理できるように会話を繰り広げていきました。
そのうえで、「もっと長く、私を見ていて欲しかった。私も面倒見て欲しい」と、未消化の寂しさを抱えていると、しっくりこない現実につながっている可能性が高い、ということも伝えました。
1年後の気づき
N子さんは、その後も近況報告をくれて、「感情に気づきやすくなった」と教えてくれました。
そして、最初のセッションから1年と少し経った先日、ご両親との関係に進展があったと報告してくれたので、紹介します。
父親のASD



早すぎた自立、未消化の寂しさというコメントを消化するのに時間がかかりました。
でも最近、なんとなく浸透してきた気がします。
父親がASDに当てはまると気づいて、発達障害が理由だと考えたら、すんなり許せました。
N子さんは、自分とは真逆の感情表現をする父親を見て、自己否定の気持ちが強かったそうです。
父親は「幼稚な人間で威張っている」と常に怒りを感じていたけど、ASDに当てはまると気づき、これまでの振る舞いの背景に納得したとのこと。
親に頼ったり、甘えたりできるようになった



欲しかった愛情の形とは違うけど、親なりに、子どもを愛していたのかなぁって。少し素直に受け取れました。
自分が期待する形では、親の愛情はどうしたって得られないと分かると、怒りや恨み、寂しさの気持ちが消えました。
社会人になってから疎遠だった実家に帰省し、両親が用意してくれたご飯を食べたり、しばらく面倒を見てもらったらしく、「私(N子さん)の世話を焼くのが楽しいみたい」と教えてくれました。
親と接するとき、常にイライラしていた気持ちも静まり、初めて素直に頼ったり、甘えたりできるようになったそうです。
N子さんに何が起きたのか?
ここからは、N子さんの変化について検討していきたいと思います。
N子さんの両親に対する捉え方が前向きに変化した要因として、問題と人間性を切り離して考えられたことが影響していると感じました。
親に発達障害の可能性があると気づいたとき、能力的な欠落と考え、理想のハードルを下げる意味での【妥協の道】もあったはずです。(この場合の能力とは子育て)
だけどN子さんは、お父さんが感情的に爆発してしまうこと(問題)と、子どもへの愛情がないことは、イコールではないと考えたんですね。
親子で愛情表現方法は異なる
N子さんとお父さんは、発達障害を抜きにしても、対照的な性格をしています。
親と子どもの性格が異なるのは一般的なことであり、愛情表現の方法も違います。そこには個人の経験や時代背景など、複雑な要素が絡み合って、行動として出てきます。
ストレートに欲求を主張する父親に対して、感情のコントロールを学んだN子さんの人生には「頼れない」が侵食していきます。
父親と違うやり方をするんだ!と思うほど、視野が狭まり、柔軟性がなくなってくるんですよね。考えないように避けようとするほど、「頼れない」が病気や体調不良という姿になって、登場するわけです。
ナラティヴ・セラピーの解釈
N子さんのケースをナラティヴ・セラピーの視点から解釈すると、ASDという名前をきっかけに、父親の行為と人間性が切り離されて見れるようになったと言えます。
問題のある父親 VS 解決できず諦めた私
という構図から、「父親の行為は悪意がないのかも…」という裏付けになったんですね。ASDがさせているのであって、愛情と区別して考えていいのかもしれない、と。
N子さんが「私は愛されていた」と気づくきっかけになったのです。
「しょうがないよね」のニュアンス
この事例は、「発達障害なんだから、思うように子育てできなくても、しょうがない。だから親の愛情を期待しないで諦めよう。」という安易なメッセージではありません。
N子さんのケースで最も重要なのは、本人が自分のニーズに気づけたことなんです。両親との関係が進展したのは、N子さんが、自分のなかにある「寂しさ」「怒り」「恨み」を丁寧に受け取った結果である、と言えます。



「こんなものだろう」と諦めて折り合いをつけて日々を送っている人に、ももかさんのセラピーや記事が届くといいなと思います。
人に頼れない、甘えられない悩みがあるとき、すごく自然に見切りをつけています。
- 発達障害だからしょうがないよね
- そういう性格だからしょうがないよね
言葉としては許容しているっぽいけど、そこには「自分の声は届かないのだ」というニュアンスを感じます。
人間性と問題を切り離して考えるというのは、能力的な欠落は先天的なものだから諦めて受け入れよう、という意味ではないんですね。むしろ、諦めて膠着状態だった問題に「声」を吹き込みます。
まとめ
N子さんのケースでは、父親が怒りっぽくて感情的になるのは「しょうがない」と諦めていたけど、私は愛されていたんだと気づけたことが大きな収穫です。
自分も頼ったり、甘えたりしていいんだと体感できた。そして、実際の行為と「頼る」「甘える」という言葉が結びついて、本人のなかで定義できた。
言い換えれば、父親とは違うやり方で「頼る」「甘える」ができるのだ、という体感にもつながったと思います。
この経験は、仕事や恋愛など、他の人間関係にも生きてくるはずです。
貴重なエピソードを提供してくれたN子さん、ありがとうございました!